【アスリートのキャリア論】セカンドキャリアという言葉は使わない
こんにちは、ひめのです。
私も長年スポーツ一筋でやってきた人間ですが、今のキャリアに繋いできている経験を踏まえて、今回はアスリートのキャリア論について書いてみたいと思います。
セカンドキャリアという言葉は使わない
アスリートが引退した後、次に始めるキャリアのことをセカンドキャリアと表現することが多いですが、そもそもキャリアに1番も2番もないです。
小さい頃からスポーツ一筋でアスリートとして過ごしてきたとしても、人生の全体をキャリアと考えた場合アスリートである期間は、キャリアの一部にしか過ぎません。
セカンドキャリアとして定義してしまうことの問題点の一つには「アスリートである期間をキャリアとして必要以上に過大評価してしまっている」からではないかと考えています。
アスリートの中には「人生の中での1番のハイライトはあの頃の自分だ」という感覚が抜けず、若くして次の挑戦を諦めている人もいるのではないでしょうか。
アスリートが引退することはアスリートである期間が終了しただけで、キャリアが終わったわけではありません。
アスリートである期間も自身のキャリアを形成していく過程の一部であることを認識するべきではないかと思います。
アスリート期間の過ごし方で差が出る
アスリートである期間において「どのように過ごしてきたか」または「どのような指導を受けてきたか」という部分がアスリートの後のキャリア形成に少なからず影響を及ぼすと私は考えています。
アスリートは選手である前に一人の人間であり一人の社会人です。
そのことを認識して、アスリートだったことが人間性でのプラスになるような過ごし方をしていなければ、引退後のキャリアで大きく差が出てしまいます。
「強ければ良い」「勝てばなんでも良い」という競技成績偏重では、百歩譲ってその競技をしているアスリートの期間は良かったとしても、その後のキャリアに良い影響を与えるとは思えません。
人として当たり前のことができないようでは必ずどこかで躓くときが出てきます。もしかしたら既に競技成績にも悪影響を与えているかもしれません。
このことについては、アスリート自身も意識しなければなりませんが特にジュニア期などは指導者の影響が大きいため、どのように指導していくかが問われる部分ではないかと思います。
もしかしたら、大きな怪我で急に競技の道が断たれることだってあるかもしれません。
アスリートとしてどんな結果になったとしても、アスリート引退後に社会に出て立派に活躍できるような人間性を育む指導が必要になってくると考えます。
特に最近ではメディアが発展し、SNSやインターネットを通じてアスリートが注目される機会が多くなり、そんな中で部外者は無責任ですから良し悪し関係なくチヤホヤすることもあります。
したがって、場合によっては釘を刺す指導者やスタッフが必要であり、そのような環境に身を置けるかどうかというところも大事になってくるのではないでしょうか。
アスリートはビジネス社会でも十分通じる能力を無意識に培ってきていると思います。
一つ例をあげるとすれば、一つのことに全力を尽くせる才能です。
その才能をうまく活かし、アスリートとしての期間を終えたとしても「次の何か」でまた全力を尽くすことはできるはずです。
アスリートの人たちには、培った能力をうまくキャリアに転換しながら素晴らしいキャリア形成をしていってもらいたいと願っています。